豆腐の歴史

発祥

豆腐発祥の地は、中国とされています。 その起源には諸説ありますが、西暦の紀元前2世紀、前漢の淮南王・劉安の創作にあるという説があります。 これは、16世紀の中国の書「本草網目」の中に〈豆腐は、漢の淮南王劉安に始まる〉とかかれていることが根拠となっています。

しかし、豆腐について書かれた文献が唐の時代(618~907年)以降まで何もないことから、起源は劉安の時代ではなく、 もっと歴史を下った唐代の中期という説もあり、定かではありません。ただ、少なくとも唐代中期頃には、豆腐は造られていたと思われます。

なお、淮南地方に関していえば、豆腐の別名として淮南術、 淮南佳品等の呼名があるほか、この地(安徽省淮南市)では劉安の誕生日9月15日を豆腐文化節と定め、中国各地さらに世界からも関係者が集い「中国豆腐文化節」が盛大に開催されており、豆腐を薄く圧縮した「豆腐皮」、豆腐を干した「豆腐干」や、豆腐と豆乳の中間の様な「豆腐脳」、豆腐の塩辛ともいえる「腐乳」、強烈な発酵臭を放つ「臭豆腐」など多種多様な豆腐製品を用いたユニークな豆腐料理が振舞われます。

※豆腐の名称:豆腐の名は、豆腐発祥地中国の文字です。豆腐の「腐」は腐るということから、どこかで取り違えられてしまったのではないかとの疑念がもたれます。中国での腐の意・語源には本来、「熟成させる」という意味があり、転じて柔らかく弾力性のあるものを指しますので、「液体のものが寄り集まって固形状になった柔らかいもの」、「液体でもなく固体でもない様なもの」に用いられております。現に、豆腐の歴史のところで紹介しましたように、中国では「中国豆腐文化節」が豆腐の文字を使って盛大に開催されており、誤りではないことを証しています。日本国内では「豆富」などの記載も見られます。なお、豆腐の別名としては、かべ(壁)、おかべ、しろもの、もみじ、淮南佳品、淮南術、菽乳、小宰羊等々があります。

豆腐の歴史1
「豆腐発祥地」石碑
日本への伝来

古くは奈良時代(710~784年)に、 中国に渡った遣唐使の僧侶等によって伝えられたとされていますが、明確な記録はありません。 豆腐が記録として登場したのは、寿永2年(1183年)、奈良春日大社の神主の日記に、お供え物として「春近唐符一種」の記載があり、 この「唐符」が最初の記録といわれています。いずれにしてもわが国で豆腐が造られたのは、奈良・平安時代からといえそうです。

当初は、寺院の僧侶などの間で、次いで精進料理の普及等にともない貴族社会や武家社会に伝わり、室町時代(1393~1572年)になって全国的に浸透したようです。製造も奈良から京都へと伝わり、次第に全国へと広がっていきました。

豆腐の歴史2
錦絵「田楽豆腐を作る美人」
(初世 歌川豊国 享和年間=1801~1803年)
庶民の生活へ

本格的に、庶民の食べ物として取り入れられるようになったのは、江戸時代です。

天明2年(1782年)に刊行された豆腐料理の本「豆腐百珍」は、爆発的な人気を呼び、翌年「豆腐百珍続編」、翌々年「豆腐百珍余禄」が出版され、 当時ブームとなった料理本〈百珍物〉のさきがけとなったといわれております。当時の豆腐の普及ぶりがうかがえます。

その後、豆腐は全国の津々浦々まで普及し、今日では健康食品、ダイエット食品としても注目され、広くご支持いただいているところです。

この間、豆腐製品は、日本の気候・風土や伝統・文化、日本人の繊細な気質等にはぐくまれ、日本の豆腐として独自の製品として発展、今日にいたっております。

豆腐の歴史3
「豆腐百珍」「豆腐百珍続編」表紙と本文